東京のベランダにて。プランター菜園日記です。略して「ちゃ園」。
【もののけ姫を見て_1】
もののけ姫を久しぶりにみたのですが、ものっっっっっすごい奥が深いんですよねぇ。。。
私の108人いる師匠の一人(プライベートな方なのでここでは名前は伏せさせていただきます。)が私によく言っていた言葉です。
「自分で調べる、十分に考える、行動する」
その言葉とこの映画のテーマの一つである「曇りなき眼」が被っている様な気がしてなりません。。。
というわけで私が「自分で調べる、十分に考えた結果」を展開したいと!!おもいます!!!
かなりの長文になってしまいます!!!ごめんなさい!!!!!
ふぅ。。。やっと落ち着きました。。。
物語の始め、カヤという女の子から「兄様をお守りするために息を吹きかけました。」と大切な玉の小刀を渡されます。
ナウシカやラピュタなどではこういった形で最初に出てくる「石」は物語を大きく左右する存在ですよね?
ところが物語の中盤、アシタカは道案内をしてくれた山犬に「これをサンに渡してくれ」と言い放つと玉の小刀ポイッと投げ渡します。
道案内してくれている間に山犬に手渡すことも出来たのに?
それもカヤからもらった大切な品なのに?
山犬が本当に渡してくれるかどうかも分からなのに?
何の心の葛藤も描かれずにポイッと投げちゃいます。
アシタカが浮気したようにも見え、カヤがかわいそうと思うのが普通ですよね。
多くの人がこの作品を観て最初に抱いた気持ちが
「なんかスッキリしない」
「主人公に感情移入できない」
「ナウシカやラピュタとは違う」
といった感じでしょうか?
もし私が演出をする立場だったとしたら、もっと主人公は清々しく好感を持てるように、神々はもっと偉大に感じるように、良い行いをした人たちは助かる、みたいな演出をしようとしたと思います。。。
しかし!!宮崎監督はどう考えたって私よりも頭が良く、人格者です。
アニメーション映画を作るプロ中のプロです。
そんな人が20代の頃から考えていたお話が「もののけ姫」です。
絶対に私が受け取ったメッセージよりも多くのメッセージを監督は含めているはず。
「この映画の中では全ての事に意味がある」という観念でこの作品を観直してみました。
ここでやっと本題です。
ネットで調べると玉の小刀(黒曜石)は「乙女が変わらぬ心の証に異性に贈るものとされる」とよく書かれています。
この映画の中でかなりクローズアップして描かれていた玉の小刀。きっとこの後アシタカを助けてくれるだろう、と予感さえします。
しかしこのお守りはアシタカを助ける事はありませんでした。
ラピュタの飛行石やナウシカ(漫画の方)の秘石とはまったく違うんですよね。
さらにこの玉の小刀について説明するセリフはほとんどありません。
「お守りするよう息を吹きこめました。いつもいつもカヤは兄さまを思っています」
カヤの言ったこのセリフくらいですね。
ちょっと話がややこしいので遠回りします。
日本列島の東方、北方に住み大和、つまり「日本人」によって異族視されていた人たちを「日本人」はみんなひっくるめてエミシという言い方をしていたようです。
エミシの文化には文字はなかったそうです。なので地方や部族によって黒曜石の意味も違っていて当然ではないでしょうか。そもそもあの小刀が黒曜石だという保証もありません。。。
確かに言える事はカヤの大切なものだと言うことくらいでしょうかねぇ。
アシタカは「壁から突き出た岩石が御神体のように祀られている部屋」で「石と鹿の骨を使った占い」を受け、旅立つ時にアシタカはカヤから玉の小刀(おそらく黒曜石)を受け取ります。そしてジコボウに「アカシシにまたがり石のヤジリを使う勇壮なるエミシの氏主あり」とも言われております。このことからアシタカの集落では石やアカシシ(鹿)に対する特別な信仰があったのでは?
私はアシタカは村が全滅しないように追放されたと考えております。
追放されたとは映画の中では語られていませんが、伝染病などで村が全滅しないようにそういう掟があったとしても不思議ではありません。実際にアシタカを見送る事は禁止されていましたし、長旅になるのに非常に荷物が少なく夜にこっそりと旅だっていますよね。
村中の誰もがアシタカは死ぬと思ったでしょう。
壮絶な死を迎えるかもと考えるかもしれません。
そう考えるとヒイ様の「健やかにあれ」という言葉も「きみしにたもうことなかれ」的に聞こえてきます。
そんなときにカヤが渡した玉の小刀が「死地に赴く人へのもの」だと考えることも十分に考えられます。苦しまずに死を迎えられるように、邪悪なものを追い払う。そんな意味もあるかもしれません。
カヤの「きっと、きっと・・・」の後にはなんて言葉がつづいたんでしょうねぇ?
アシタカの行動を良く見てみると一切心の葛藤を見せずにその時の最善策と思われる行動をビシッと決めています。これはアシタカは「曇りなき眼」を持った青年という設定もあるのでしょうが、これこそが監督の「観客を感情移入させない」演出だと思います。つまり「曇りなき眼で見ろ」というメッセージだと思います。
だからあえてカヤからもらった大切な玉の小刀を躊躇せずサンに渡して観客に気持ちの悪い印象を与えたんだと解釈してます。
実際にアシタカから玉の小刀を受け取った時、サンはすでに死ぬ覚悟ができていました。
アシタカの迷いのない判断はここでも当たっていたのです。
おもしろい事に、この辺からサンは「憎しみに身をゆだねる」ような行動は減っていきます。ナウシカのようなか弱さを持ち合わせるようになりますね。
でもこの「玉の小刀」は物語の中でもかなりクローズアップされていたにも関わらずラピュタで言うところの「飛行石」のような奇跡は起こしませんし、サンの命を助けるエピソードも特にありません。なぜならそれが宮崎監督がこっそり入れた暗喩的表現だからだ。と、ちょっと強引に考えてしまいました。。。
そして物語は進み、「人間の強い意思」と「多くの犠牲」と「止められない流れ」によってシシ神は死に、時代は変わった。それは現代の人間にとって都合の良い、暮らしやすい世界です。
アシタカは作品中に何度も「共に生きる道はないのか?」と言っています。
そうなんですよね。ずっと葛藤がないように見えたアシタカにも葛藤はあったのです。そして最後まで結論はでないまま物語は終わります。
エンターテイメントとしては非常にスッキリしない終わり方です。
今後衰退していくのはタタラに残ったアシタカか?山に残ったサンか?それとも共存できたのか?
現在、日本に山犬(=ニホンオオカミ)は絶滅し、イノシシも人間の肉として狩られるようになりました。。。
ちなみにこのお守りは最後までサンが持っていました。
なぜアシタカはサンに玉の小刀を渡したか?
はじめに
もののけ姫を久しぶりにみたのですが、ものっっっっっすごい奥が深いんですよねぇ。。。
私の108人いる師匠の一人(プライベートな方なのでここでは名前は伏せさせていただきます。)が私によく言っていた言葉です。
「自分で調べる、十分に考える、行動する」
その言葉とこの映画のテーマの一つである「曇りなき眼」が被っている様な気がしてなりません。。。
というわけで私が「自分で調べる、十分に考えた結果」を展開したいと!!おもいます!!!
かなりの長文になってしまいます!!!ごめんなさい!!!!!
ふぅ。。。やっと落ち着きました。。。
まずは素直な疑問
物語の始め、カヤという女の子から「兄様をお守りするために息を吹きかけました。」と大切な玉の小刀を渡されます。
ナウシカやラピュタなどではこういった形で最初に出てくる「石」は物語を大きく左右する存在ですよね?
ところが物語の中盤、アシタカは道案内をしてくれた山犬に「これをサンに渡してくれ」と言い放つと玉の小刀ポイッと投げ渡します。
道案内してくれている間に山犬に手渡すことも出来たのに?
それもカヤからもらった大切な品なのに?
山犬が本当に渡してくれるかどうかも分からなのに?
何の心の葛藤も描かれずにポイッと投げちゃいます。
アシタカが浮気したようにも見え、カヤがかわいそうと思うのが普通ですよね。
多くの人がこの作品を観て最初に抱いた気持ちが
「なんかスッキリしない」
「主人公に感情移入できない」
「ナウシカやラピュタとは違う」
といった感じでしょうか?
もし私が演出をする立場だったとしたら、もっと主人公は清々しく好感を持てるように、神々はもっと偉大に感じるように、良い行いをした人たちは助かる、みたいな演出をしようとしたと思います。。。
しかし!!宮崎監督はどう考えたって私よりも頭が良く、人格者です。
アニメーション映画を作るプロ中のプロです。
そんな人が20代の頃から考えていたお話が「もののけ姫」です。
絶対に私が受け取ったメッセージよりも多くのメッセージを監督は含めているはず。
「この映画の中では全ての事に意味がある」という観念でこの作品を観直してみました。
玉の小刀の意味とは
ここでやっと本題です。
ネットで調べると玉の小刀(黒曜石)は「乙女が変わらぬ心の証に異性に贈るものとされる」とよく書かれています。
この映画の中でかなりクローズアップして描かれていた玉の小刀。きっとこの後アシタカを助けてくれるだろう、と予感さえします。
しかしこのお守りはアシタカを助ける事はありませんでした。
ラピュタの飛行石やナウシカ(漫画の方)の秘石とはまったく違うんですよね。
さらにこの玉の小刀について説明するセリフはほとんどありません。
「お守りするよう息を吹きこめました。いつもいつもカヤは兄さまを思っています」
カヤの言ったこのセリフくらいですね。
ちょっと話がややこしいので遠回りします。
日本列島の東方、北方に住み大和、つまり「日本人」によって異族視されていた人たちを「日本人」はみんなひっくるめてエミシという言い方をしていたようです。
エミシの文化には文字はなかったそうです。なので地方や部族によって黒曜石の意味も違っていて当然ではないでしょうか。そもそもあの小刀が黒曜石だという保証もありません。。。
確かに言える事はカヤの大切なものだと言うことくらいでしょうかねぇ。
アシタカは「壁から突き出た岩石が御神体のように祀られている部屋」で「石と鹿の骨を使った占い」を受け、旅立つ時にアシタカはカヤから玉の小刀(おそらく黒曜石)を受け取ります。そしてジコボウに「アカシシにまたがり石のヤジリを使う勇壮なるエミシの氏主あり」とも言われております。このことからアシタカの集落では石やアカシシ(鹿)に対する特別な信仰があったのでは?
物語の序盤に死に至る呪いを受けて集落を追放されたアシタカ
私はアシタカは村が全滅しないように追放されたと考えております。
追放されたとは映画の中では語られていませんが、伝染病などで村が全滅しないようにそういう掟があったとしても不思議ではありません。実際にアシタカを見送る事は禁止されていましたし、長旅になるのに非常に荷物が少なく夜にこっそりと旅だっていますよね。
村中の誰もがアシタカは死ぬと思ったでしょう。
壮絶な死を迎えるかもと考えるかもしれません。
そう考えるとヒイ様の「健やかにあれ」という言葉も「きみしにたもうことなかれ」的に聞こえてきます。
そんなときにカヤが渡した玉の小刀が「死地に赴く人へのもの」だと考えることも十分に考えられます。苦しまずに死を迎えられるように、邪悪なものを追い払う。そんな意味もあるかもしれません。
カヤの「きっと、きっと・・・」の後にはなんて言葉がつづいたんでしょうねぇ?
いっさいの葛藤を見せない演出
アシタカの行動を良く見てみると一切心の葛藤を見せずにその時の最善策と思われる行動をビシッと決めています。これはアシタカは「曇りなき眼」を持った青年という設定もあるのでしょうが、これこそが監督の「観客を感情移入させない」演出だと思います。つまり「曇りなき眼で見ろ」というメッセージだと思います。
だからあえてカヤからもらった大切な玉の小刀を躊躇せずサンに渡して観客に気持ちの悪い印象を与えたんだと解釈してます。
実際にアシタカから玉の小刀を受け取った時、サンはすでに死ぬ覚悟ができていました。
アシタカの迷いのない判断はここでも当たっていたのです。
おもしろい事に、この辺からサンは「憎しみに身をゆだねる」ような行動は減っていきます。ナウシカのようなか弱さを持ち合わせるようになりますね。
でもこの「玉の小刀」は物語の中でもかなりクローズアップされていたにも関わらずラピュタで言うところの「飛行石」のような奇跡は起こしませんし、サンの命を助けるエピソードも特にありません。なぜならそれが宮崎監督がこっそり入れた暗喩的表現だからだ。と、ちょっと強引に考えてしまいました。。。
そして物語は進み、「人間の強い意思」と「多くの犠牲」と「止められない流れ」によってシシ神は死に、時代は変わった。それは現代の人間にとって都合の良い、暮らしやすい世界です。
アシタカは作品中に何度も「共に生きる道はないのか?」と言っています。
そうなんですよね。ずっと葛藤がないように見えたアシタカにも葛藤はあったのです。そして最後まで結論はでないまま物語は終わります。
エンターテイメントとしては非常にスッキリしない終わり方です。
今後衰退していくのはタタラに残ったアシタカか?山に残ったサンか?それとも共存できたのか?
現在、日本に山犬(=ニホンオオカミ)は絶滅し、イノシシも人間の肉として狩られるようになりました。。。
ちなみにこのお守りは最後までサンが持っていました。
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COMMENT
サンからアシタカヘ
突然失礼します。
私は東北に暮らすモノです。
ちょっとコメントさせてください。
「玉の小刀」についてです。
作品のラストではアシタカとサンの関係は近しくなっていますがまだ「許すことができない」状態です。それでもアシタカは「共に生きよう」と伝えます。
ここでアシタカ=理不尽・不条理な運命と歩む人物だとすると、ラスト以降も多くの困難があると思います。もちろんサンとの間にも多くの困難があると思います。
アシタカがサンに小刀を渡した理由は、これから襲い掛かるこれらの理不尽・不条理な困難への「希望」だと思います。
アシタカは願わくば「この小刀を異性に贈る本当の意味」をサンに教えたかったのでないでしょうか。サンは小刀に対して2面の意味を持っている言動をします。ひとつは「綺麗」もうひとつは「八つ裂きにしてやる」。この二つです。
もしもサンが「八つ裂き」の方でこれからの人生を歩むのなら、それは人間に生まれたサンにとってとても悲しいことです。しかし、「綺麗」と思える心でこれからの人生を歩むのなら、それは希望だと思います。
アシタカは、多くの困難があってもその中で、サンの「綺麗」と思える美しい心を見据えたいのだと思います。いつの日か、それらの困難を乗り越え、サンからアシタカへ小刀が贈られ、サンの口から「あなたを想っています」と言える世界を目指しているのだと思います。
我々が今住んでいる世界が、その世界に近い気がします。
まったくもって私的な意見となってしまいました。
お許しください。失礼します。
私は東北に暮らすモノです。
ちょっとコメントさせてください。
「玉の小刀」についてです。
作品のラストではアシタカとサンの関係は近しくなっていますがまだ「許すことができない」状態です。それでもアシタカは「共に生きよう」と伝えます。
ここでアシタカ=理不尽・不条理な運命と歩む人物だとすると、ラスト以降も多くの困難があると思います。もちろんサンとの間にも多くの困難があると思います。
アシタカがサンに小刀を渡した理由は、これから襲い掛かるこれらの理不尽・不条理な困難への「希望」だと思います。
アシタカは願わくば「この小刀を異性に贈る本当の意味」をサンに教えたかったのでないでしょうか。サンは小刀に対して2面の意味を持っている言動をします。ひとつは「綺麗」もうひとつは「八つ裂きにしてやる」。この二つです。
もしもサンが「八つ裂き」の方でこれからの人生を歩むのなら、それは人間に生まれたサンにとってとても悲しいことです。しかし、「綺麗」と思える心でこれからの人生を歩むのなら、それは希望だと思います。
アシタカは、多くの困難があってもその中で、サンの「綺麗」と思える美しい心を見据えたいのだと思います。いつの日か、それらの困難を乗り越え、サンからアシタカへ小刀が贈られ、サンの口から「あなたを想っています」と言える世界を目指しているのだと思います。
我々が今住んでいる世界が、その世界に近い気がします。
まったくもって私的な意見となってしまいました。
お許しください。失礼します。
Re:あの
なるほど!!!思ってしまいました!!
もののけ姫 追記
追記しますと……
玉の小刀を、山犬に手渡すことなんて出来ないでしょう。
自分に慣れていない、自分を慕っていない肉食動物に容易に近づく、触るなんてペットであるまいし、しませんよ。野生ですからね。
あの時点では、山犬とアシタカの関係は友好ではありません。
投げる以外に、渡す方法はなかったとおもいます(ヤックルもいますしね)。
その後、ヤックルが負傷した際、山犬と行動をともにしますが、始めは、山犬に乗らず、自ら走っていますよね。
緊急事態であっても自分から「乗せて」なんていいません。
山犬が「遅い!乗れ!!」と言って初めて乗ります。
ここでやっと分かり合えたというか、心が近くなったのだと思います。
もし、アシタカが山犬に乗れるくらい仲良くなってから、「サンにこれを渡して欲しい」なんて山犬にものを渡すようなシーンがあれば、自らの手で牙に引っ掛けてあげることもできたかもしれません(ここは、推測中の推測ですが。
玉の小刀を、山犬に手渡すことなんて出来ないでしょう。
自分に慣れていない、自分を慕っていない肉食動物に容易に近づく、触るなんてペットであるまいし、しませんよ。野生ですからね。
あの時点では、山犬とアシタカの関係は友好ではありません。
投げる以外に、渡す方法はなかったとおもいます(ヤックルもいますしね)。
その後、ヤックルが負傷した際、山犬と行動をともにしますが、始めは、山犬に乗らず、自ら走っていますよね。
緊急事態であっても自分から「乗せて」なんていいません。
山犬が「遅い!乗れ!!」と言って初めて乗ります。
ここでやっと分かり合えたというか、心が近くなったのだと思います。
もし、アシタカが山犬に乗れるくらい仲良くなってから、「サンにこれを渡して欲しい」なんて山犬にものを渡すようなシーンがあれば、自らの手で牙に引っ掛けてあげることもできたかもしれません(ここは、推測中の推測ですが。
もののけ姫
小刀を渡した意味は、そんなに難しいことではないと思いますよ。
サンは、アシタカにずっとずっと看病をし続けました。嫌いであろう人間に。シシガミ様が生かした命だからという理由で心を許していましたが。
夜中にアシタカが目を覚まし、モロと会話するシーンからもわかりますが、相当看病したのだと思います。モロと話し終わり、サンが寝ているところに戻り、「歩けたか??」と聞かれた後、アシタカは、サンに毛皮をかけてあげています。それまで、サンは、毛布をかけていませんよね。客人用の寝具なんてあるはずがないのですから、アシタカが使っていた寝具一式は、サンのものです。ここでも献身的な看病を感じますよね。
そして、朝起きたら、食料を用意してくれていました。サンが外してしまった手綱(赤い紐)をヤックルにつけてくれています。
山犬を案内役にまで用意してくれています(山犬は、アシタカに好意を抱いていませんから、サン指示でいたのだとおもいます。。
アシタカは、ここまでしてくれたサンに御礼がしたかったのではないでしょうか。
映画では、サンとの再会を果たしますが、アシタカの荷物をまとめた上で、アシタカが目覚めた時には、サンはいません。アシタカは、もう会えないと思ったのでしょう。
ならば、目の前にいる山犬に何か頼もうと思ったのでしょう。
自分の持っているもので、人に渡せるようなものを。
アシタカの荷物は最小限です。
旅をスタートさせた時点でも少なかったですが、タタラバからは、サンを担いできたのですから、本当に持っているものは、少なかったとおもいます。
そんな中、サンに渡せるものといったら、玉の小刀しかなかったのでしょう。アシタカにとっても大切なものですが、それよりもサンへの御礼がしたいという気持ちが勝ったのだと思います。
ポイッと投げているから、大切に扱っていないなんてことありません。
私達がものを投げるより、アシタカなら正確に物を投げられます。それに山犬だって、キャッチできる身体能力は、抜きん出ているでしょう。
だから、あの行為は、100発100中のようなものなのです。なんの危なげもありません。
あと、アシタカは、もう元々の村に帰ることできないのでしょう。
アシタカは、エミシの一族です。エミシは、大和から追いやられ、隠れ里で細々と暮らしています。
他の村との交流もほぼなかったと思います。
なぜなら、出会った他者が、もし大和の者であったら大変なことになるからです。
戦や、戦とまではいかないにしても、小規模な殺し合いがあることは間違いないのです。
だから、他者とは接触しないのです。
それが、何年か前に村にいたものであってもです。
村を出た者を、二度と受け入れないのです。
大和のスパイとして操られている可能性だってあります。スパイになりたくなくても、やらされている場合もあるでしょう。
それが、例えアシカタであっても駄目なのです。受け入れられないのです。
「掟」ですから。
だから、アシタカは、もう戻れないのです。
そういった意味合いがあるからこそ、出て行くものを見送ることはしないのでしょう。
村を出て行く=大和との接触
理由は、どうであれ、大和との接触を選んだものを盛大には見送ることなんて出来ないのでしょう。
そういう掟だと推測できます。
アシタカが村を出るとき、断髪しますよね。だからこそ、その際、うなだれるような、非常に残念そうな様子があるのです。
もう戻れない、会えないという村人の覚悟です。
そんな掟でなければ、「あざを治したら、また戻ってこい。長として向かいいれる。アシタカは、村に必要な人間だ。」と言われるはずです。
サンは、アシタカにずっとずっと看病をし続けました。嫌いであろう人間に。シシガミ様が生かした命だからという理由で心を許していましたが。
夜中にアシタカが目を覚まし、モロと会話するシーンからもわかりますが、相当看病したのだと思います。モロと話し終わり、サンが寝ているところに戻り、「歩けたか??」と聞かれた後、アシタカは、サンに毛皮をかけてあげています。それまで、サンは、毛布をかけていませんよね。客人用の寝具なんてあるはずがないのですから、アシタカが使っていた寝具一式は、サンのものです。ここでも献身的な看病を感じますよね。
そして、朝起きたら、食料を用意してくれていました。サンが外してしまった手綱(赤い紐)をヤックルにつけてくれています。
山犬を案内役にまで用意してくれています(山犬は、アシタカに好意を抱いていませんから、サン指示でいたのだとおもいます。。
アシタカは、ここまでしてくれたサンに御礼がしたかったのではないでしょうか。
映画では、サンとの再会を果たしますが、アシタカの荷物をまとめた上で、アシタカが目覚めた時には、サンはいません。アシタカは、もう会えないと思ったのでしょう。
ならば、目の前にいる山犬に何か頼もうと思ったのでしょう。
自分の持っているもので、人に渡せるようなものを。
アシタカの荷物は最小限です。
旅をスタートさせた時点でも少なかったですが、タタラバからは、サンを担いできたのですから、本当に持っているものは、少なかったとおもいます。
そんな中、サンに渡せるものといったら、玉の小刀しかなかったのでしょう。アシタカにとっても大切なものですが、それよりもサンへの御礼がしたいという気持ちが勝ったのだと思います。
ポイッと投げているから、大切に扱っていないなんてことありません。
私達がものを投げるより、アシタカなら正確に物を投げられます。それに山犬だって、キャッチできる身体能力は、抜きん出ているでしょう。
だから、あの行為は、100発100中のようなものなのです。なんの危なげもありません。
あと、アシタカは、もう元々の村に帰ることできないのでしょう。
アシタカは、エミシの一族です。エミシは、大和から追いやられ、隠れ里で細々と暮らしています。
他の村との交流もほぼなかったと思います。
なぜなら、出会った他者が、もし大和の者であったら大変なことになるからです。
戦や、戦とまではいかないにしても、小規模な殺し合いがあることは間違いないのです。
だから、他者とは接触しないのです。
それが、何年か前に村にいたものであってもです。
村を出た者を、二度と受け入れないのです。
大和のスパイとして操られている可能性だってあります。スパイになりたくなくても、やらされている場合もあるでしょう。
それが、例えアシカタであっても駄目なのです。受け入れられないのです。
「掟」ですから。
だから、アシタカは、もう戻れないのです。
そういった意味合いがあるからこそ、出て行くものを見送ることはしないのでしょう。
村を出て行く=大和との接触
理由は、どうであれ、大和との接触を選んだものを盛大には見送ることなんて出来ないのでしょう。
そういう掟だと推測できます。
アシタカが村を出るとき、断髪しますよね。だからこそ、その際、うなだれるような、非常に残念そうな様子があるのです。
もう戻れない、会えないという村人の覚悟です。
そんな掟でなければ、「あざを治したら、また戻ってこい。長として向かいいれる。アシタカは、村に必要な人間だ。」と言われるはずです。
Re:もののけ姫
長文ありがとうございます!!最後まで読ませていただきました!!人によって様々な考え方が出来る映画って、すばらしいですよねぇ!!
ジブリ作品の中で一番のもののけ姫!!
金曜ロードショー
もののけ姫を見ました。
やはり何回見てもいい映画です。
私はチャッピーさんやtakaさんと同じことを考えておりました。
なぜアシタカはカヤからもらった品をサンに渡したか・・・
コメントを読ませていだだいてるうちに、なぜかカヤとサンは姉妹だったのでは!?
みたいなことに・・・
ろくに考えてもいないので、『何を言うか』と思われるのでしょうが、一様、自分なりに少ない脳で考えてみたので、ちょっとしたヒントにでもなればと思います。
もののけ姫を見ました。
やはり何回見てもいい映画です。
私はチャッピーさんやtakaさんと同じことを考えておりました。
なぜアシタカはカヤからもらった品をサンに渡したか・・・
コメントを読ませていだだいてるうちに、なぜかカヤとサンは姉妹だったのでは!?
みたいなことに・・・
ろくに考えてもいないので、『何を言うか』と思われるのでしょうが、一様、自分なりに少ない脳で考えてみたので、ちょっとしたヒントにでもなればと思います。
Re:ジブリ作品の中で一番のもののけ姫!!
こんにちは。昔の集落では、部族みんなが血縁関係にあった(らしい)ですねぇ。いろいろと自分から知ろうとする気にさせてくれる、いい映画ですよねぇ。
無題
はじめまして。
私もアシタカにとってのカヤと小刀の関係が非常にナゾに感じており、ストーリー構成の側面からその意味合いを色々と考えてみました。それはチャッピーさんとほとんど同じ考えでしたので嬉しかった気持ちを伝えさせて頂くのと同時に、ここでは割愛させていただきます。
それとはまた別に、この物語は人の手で作られた創作物ですから、創作者の意図を読んでみることでこの謎を考えてみようとも思いました。
その時一番最初に気になったのがサンとカヤの声が石田ゆり子さんの二役だったということです。
序盤の数分、数セリフのみのカヤ。そこにヒロインと同じ声を当てる意図とはなんだったのでしょうか?年端もいかない乙女であるカヤは、もっとお若く(失礼)初々しい、悪く言えば少しくらいたどたどしい新人さんでもなんら問題は無かったはずです。
サンとカヤは本人同士の絡みは無くとも、小刀で繋がった間柄。このことだけ取ってみても、チャッピーさんが本文で仰られるようになんらかの「暗喩的」な意図を監督が込めているとしか思えません。
アシタカにとっての大切な人(場所)がカヤ(故郷)からシシ神の森に完全に移った。アシタカが明確に故郷と決別し不帰を誓ったことを意味する表現と私は受け止めましたが、いかがでしょうか?
魔法が戻ってもジジと言葉を交わせなくなったキキのように、個人的には「決別」をハッキリと表現するのが宮崎演出の特徴だと思っています。
私もアシタカにとってのカヤと小刀の関係が非常にナゾに感じており、ストーリー構成の側面からその意味合いを色々と考えてみました。それはチャッピーさんとほとんど同じ考えでしたので嬉しかった気持ちを伝えさせて頂くのと同時に、ここでは割愛させていただきます。
それとはまた別に、この物語は人の手で作られた創作物ですから、創作者の意図を読んでみることでこの謎を考えてみようとも思いました。
その時一番最初に気になったのがサンとカヤの声が石田ゆり子さんの二役だったということです。
序盤の数分、数セリフのみのカヤ。そこにヒロインと同じ声を当てる意図とはなんだったのでしょうか?年端もいかない乙女であるカヤは、もっとお若く(失礼)初々しい、悪く言えば少しくらいたどたどしい新人さんでもなんら問題は無かったはずです。
サンとカヤは本人同士の絡みは無くとも、小刀で繋がった間柄。このことだけ取ってみても、チャッピーさんが本文で仰られるようになんらかの「暗喩的」な意図を監督が込めているとしか思えません。
アシタカにとっての大切な人(場所)がカヤ(故郷)からシシ神の森に完全に移った。アシタカが明確に故郷と決別し不帰を誓ったことを意味する表現と私は受け止めましたが、いかがでしょうか?
魔法が戻ってもジジと言葉を交わせなくなったキキのように、個人的には「決別」をハッキリと表現するのが宮崎演出の特徴だと思っています。
無題
はじめまして、私ももののけが好きでよくみるんですけどとても面白い考えだなあと思いました。
ですが少し気になるとゆうか、ここはやっぱり夢を持った感じにしたほうがいいんじゃないかな、とゆう所が少しあったのでちょっとお邪魔させてもらいました。
まず、伝染病による追放ですが、考え方としてはとても自然なんですが全体から考えると、アシタカはあのまま村で死を待つだけの生活を送るのではなく自分にかけられた呪いの原因と治し方を探す旅に出たのだと私は思います。「西の方で何か不吉な事が起こってる」ともいってましたし‥‥イノシシの足跡を辿っていたのもそうじゃないかな、と
あとは、ラストの事なんですけど気持ちよく見終わるにはここは少し考えを甘くして
最初は潰しあおうとしていたが、シシ神様にリセットされエボシも心を入れ替え(?)共存できるように努力していく、とゆう希望を持たせた終わり方にしたのだと私は思います。実際、時代設定や話から考えてもアレが最善なのかな、と
個人的な考えなので、失礼かとは思いましたがついコメントしてしまいました。
ですが少し気になるとゆうか、ここはやっぱり夢を持った感じにしたほうがいいんじゃないかな、とゆう所が少しあったのでちょっとお邪魔させてもらいました。
まず、伝染病による追放ですが、考え方としてはとても自然なんですが全体から考えると、アシタカはあのまま村で死を待つだけの生活を送るのではなく自分にかけられた呪いの原因と治し方を探す旅に出たのだと私は思います。「西の方で何か不吉な事が起こってる」ともいってましたし‥‥イノシシの足跡を辿っていたのもそうじゃないかな、と
あとは、ラストの事なんですけど気持ちよく見終わるにはここは少し考えを甘くして
最初は潰しあおうとしていたが、シシ神様にリセットされエボシも心を入れ替え(?)共存できるように努力していく、とゆう希望を持たせた終わり方にしたのだと私は思います。実際、時代設定や話から考えてもアレが最善なのかな、と
個人的な考えなので、失礼かとは思いましたがついコメントしてしまいました。
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